"キャラ"という言葉の呪い

「マンガにキャラがないよ」
残念ながら編集者の佐渡島さんによく言われる言葉だ。
駆け出しの漫画家ワクマルはこの”キャラ”という言葉に翻弄される毎日を現在送っている。
「え…キャラがない?じゃあ俺がマンガに書いているこの人は一体なんなの…??存在しないことになっちゃうの?そんなわけはないはず。じゃあキャラって一体何なのさ???」
そんなハテナばかりつく”キャラ”という忌々しい言葉。

だけど今日少しだけ、ほんの少しだけだけどその霧がかった言葉に光が差した気がした。
「ん?もしかしてそういうことなんじゃないの?」って。
だからちょっと気づきを書いていこうと思う。


数時間前のこと、息子さんを連れた佐渡島さんとご友人(以後A氏)のお茶会に呼ばれ同席させてもらった。
当然話題はマンガ。とりわけ絵についての話だった。

A氏「ディズニーのグーフィーは運動神経はいいけどおバカな犬。だから例えば野球をしているグーフィーは当然のようにホームランを打つけど、目線は別の興味があるものを追っていたりするんだよね。マンガの絵はキャラクターへの理解がある絵でなくちゃいけない」

佐渡島さん「マンガを読んだときに絵から作者のそういう意図を読み取る能力が作家には必要なんだよね」


この会話、遠回しに同席している俺に言ってる気がする…。
いや多分言ってる。
わざわざ呼んでるわけだし、思い当たる節めちゃくちゃあるし…。


“キャラ”は
・キャラクター設定の描写(キャラクターデザイン、境遇、生い立ちなど)
・キャラクターの性格描写(何かアクションを起こすときに出る特有の行動、美学、思想など)
という認識をしている。

なので物語を設計するときに、冒頭にキャラクターの設定を読者にわかってもらおうとする。実際そう心がけていた。
なぜなら最初にそうしないとどんな人物かわかってもらえないと思っていたからだ。
でもこれは間違い……間違いというか正確じゃないかもしれないと2人の会話を横で聞いていて思った。


誰だって知らない人やはじめて見た芸能人の境遇を調べようとは思わない。
その人のことをもっと知りたいと思ってから聞いたり検索してみたりするのが普通の流れだと思う。

そう考えると自分のやっていたことは物語の冒頭でキャラクター設定という前提条件の共有を押し売りしていたにすぎない気がしてきた。
それだと物語の中にどんな人間がいるかがわからないから読者からしたら面白くないものになってるってことになる。マズイ。

まとめると、キャラクター設定はベースとしてあって、そのベースに紐づいてキャラクターの性格描写が生まれる。
キャラクター設定は必要な情報だけど、それ単体で面白いというものではなく、読者が面白がる部分はベースに紐づかれたキャラクターの性格描写の部分。だから細部に至るまで性格描写された演技をしていないとおかしいよと。
それが欠けた状態をいわゆる"キャラがない"というんじゃないだろうか。


ここまで来て何だけど、書いてみると当たり前のような気もする…。
やるとなると難しいけど…。

でもほんのちょっとだけ頭が整理された。
次は意識してみようと思う。
何か変化はあるだろうか。

追記:
この文章をまとめた後に、A氏とZOOMでお話しする機会をいただけた。そこで「あんまりエンタテインメントを言葉で定義づけしすぎるのも良くないよ。」と言われ、チーン…となり現在に至る。
まだまだ"キャラ"の迷路は続きそうだと悟った。

マンガは一筋縄じゃいかないなあ。

おわり。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

読んで頂いてありがとうございます!もし余裕があったら支援していただけると助かります。

大吉っ!!
28
デザイン設計(Landscape)→漂流期間→マンガ家 twitter→@w_tokushun

こちらでもピックアップされています

ワクマル日記~マンガ家への道~
ワクマル日記~マンガ家への道~
  • 34本

マンガ家になるために気づきやフツフツとした思いを書いていきます。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。